壊れかけたインターホンを押すと、四つ角が錆びついた鉄製のドアがギーっと鳴いて3割ほど開いた。
俺はいつものように玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、すぐ目の前にある待合ソファへ腰を掛ける。裏には3匹程度の熱帯魚が泳ぐ小さな水槽。薄暗い部屋には、二胡の演奏でアレンジされた一昔前のヒット曲がBGMとして小さく漂っていた。
テーブルに置かれているメイド・イン・コリアの飴玉をひょいと口に入れて、しばし待機。
5分ほどで声がかかり、玄関からは死角になっている通路の暖簾をくぐると、粗末なパーテーションで細かく区切られた小部屋が6つある。今日は珍しく、手前から数えて2番目の右側を指定された。
入り口のカーテンを引き、ベルトをガチャガチャと言わせながら服を脱いで、辛うじて大切な場所だけは隠蔽できるTバックの紙パンツを装着する。
恥ずかしさは、もうない。すでに感覚が麻痺しているのだろう。その後、床にベタ敷きされた薄い布団でうつ伏せになると、背後から「コンバンワ」といつもの声が響いた。
――俺、なにやってんだろ。
程なくして仰向けになった俺の上で、腰をゆっくりと動かしている相手の姿を見ながら、いや、実際は見るフリをしながら自問する。
なぜこの店の常連になった? なぜ金もないのに来ている? そもそも、なぜこんなこと考えているのだ。この子に飽きたのか? 何かを変えたいのか? ……分からない。ただ、このままではいけないと脳がサインを出していることは、バカな俺でも理解できた。
見上げる相手が老練なグラインドを続ける中、そっと目を閉じる。果てるまでのカウントダウンを一向に感じないまま、これまでの人生のハイライトが瞬時に幾つも浮かんできた。
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自分で言うのも少し恥ずかしいけど、大学に入学するまでは真面目な青年だった。
中学校までは学年でトップ5に入るほどの秀才くん。高校は地元・九州某県の進学校で、その中では平凡な成績だったものの、現役で隣県の国立大学に合格できた。
学校というコミュニティでの立ち位置は、今どきの若者が言う「陰キャ」でもなければ、それほど「陽キャ」でもない感じ。どこか尖っているヤンチャな友人とも遊び、教室の隅っこで鉄道を語り合うグループとも遊ぶような、当たり障りのない人間だったと思う。
オシャレに気を遣うことはなく、母親が「しまむら」などで買ってきた服をそのまま着ていた。そう考えると、やや陰キャ寄りだったのか。今となってはどうでも良い話だ。
そんな俺、真面目な「波多野豊」の針路が少しずつブレ始めたのは、大学生の頃かもしれない。
入学決定と同時に大学近くの小さなアパートを借り、近所のコンビニでバイトを始めると、そこで大学の1つ上の先輩である福山さんに出会った。
福山さんの趣味は、パチ屋通いだった。
彼はロクに大学の授業へ出ず、パチ屋とコンビニを往復するような生活で、バイト代をほぼパチンコ・パチスロに貢ぐようなダメ人間。俺は「ああなっちゃいけないな」と密かに軽蔑していたけど、一方でかなり魅力を感じる人間だった。
他人に甘く、自分にも甘い。物事を楽観的に捉えて、誰も傷つけない。ミクロな部分を見ればダメさが目立つものの、マクロで俯瞰すれば「懐の大きな人間」とでも表現すれば良いだろうか。
ギャンブルに身を捧げる破滅的な性格にも惹かれた。セブンスターを燻らし、ややガニ股で原チャリに乗っている姿もどこか格好良かった。
少しずつ福山さんと会話する機会が増え、2人の距離感が縮まった19歳の夏頃、俺は彼に連れられて「パチ屋童貞」を捨てる。
当時のパチンコは『CR大工の源さん』や『CRモンスターハウス』、パチスロでは大量獲得機の『大花火』やCT機の『アステカ』が稼働していて、現在よりも遥かにギャンブルとしての魅力があった。
たしか初代の『ジャグラー』もあったはずだけど、爆裂系の機種に押されて、あまり人気がなかったと記憶している。たぶん、俺自身も打ったことはなかったと思う。
記念すべきロストバージンの日、福山さんから『大花火』を勧められた。当然、パチスロのゲーム性も知らなければ、目押しもできないので、彼に手ほどきを受けながらの初体験だ。
筐体の上部にある大きなリールがクルクル回転するたびに福山さんは興奮してアドバイスするけど、こちらは何が何やら。
言われるがままのチェリーボーイである。
結局その日、多くの人間が経験する「ビギナーズラック」という悪魔の誘惑を受け、2時間足らずで3千枚ほどのコインを手にした。以降、パチスロの「沼」にハマったことは言うまでもない。
ただ、俺は基本的に真面目な性格なので、福山さんのように破天荒な真似はできない。大学の授業にも出ていたし、単位も順調に取得した。パチ屋へ行くのは財布に余裕があるときだけで、経済が破綻することもなかった(むしろ大学時代はプラスだった)。
とは言え、この時期にパチスロという遊技を知ったおかげで、後の人生が大きく左右されたことは否めない。
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実はもう一つ、大学時代に大きな転機があった。3年生の夏、同学年の彼女ができたのだ。人生で初めての、はっきり「交際している」と宣言できる彼女で、名前は結衣と言った。
就職活動の話題が出始めるようなタイミングで付き合いがスタートし、すでに結衣は東京に行くと公言していた。
一方の俺と言えば、ほぼノープランの状態。それまで、ぼんやりと地元で就職することは考えていたものの、確固たる意志はなかった。
でも、結衣と付き合い始めた直後に目標が定まった。
俺も一緒に上京する。そして一緒に暮らし、早めに結婚する――。
当時は本気で結衣を愛していたし、遠距離恋愛などせず、2人で近くにいることがベストだと勝手に考えていた。未曾有の不景気とは言え、あまり仕事を選ばなければ、東京での就職も問題ないはずだ。
ただ、結衣の希望はどうなのか分からない。日常会話で俺の将来を話し合う機会はほぼなく、結衣のほうから「どうするの?」と聞かれることもなかった。今振り返れば、それも相手からのサインだったのかもしれない。
大学4年生の春頃、結衣が東京の一般企業に就職が決まった。そのタイミングで、俺も意を決して切り出す。
「結衣ちゃん、俺も東京に行こうと思うけど、どうかな」
「えっ…そうなんだ。就職先は?」
「まだ決まっていないけど、何とかなるでしょ」
「大丈夫? あまり話してこなかったけど、豊はどんな仕事がしたいの?」
「まぁ…自分の得意分野を生かせれば良いけど」
「得意分野? パチスロとか?」
「いやいや、パチスロは趣味だからね。仕事にするのはちょっと違うよ」
「でも、パチンコ業界って何十兆円の大きな産業だって言うじゃない。たぶん関連業も多いだろうし、良いかもよ」
「そうか。なるほどね……」
同棲や結婚の話をするのは早計だと思い、このときは仕事の話だけで終わった。
――この数ヶ月後、俺は無事に就職先を決めて上京することになる。ただし、その矢先から波多野青年の歯車は大きく狂うのだった。
(第2章へ続く)
ハッピージャグライフ
地方から上京した一人の男が、ジャグラーとともに生きるドキュメンタリー小説。主人公である真面目な「波多野」と同期である「山崎」がジャグラーとどう関わって、最終的に二人がどうなっていくのか…を描いていく。