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第2章「来日&結婚というギャンブル」【早紀のジャグラー在日遊技録】

2021年6月16日

日本行きの話があったのは、ちょうど20歳の誕生日を迎えた春頃だったと思う。当時、私は学校を卒業したての実家暮らし。中国北部の小さな町に住み、小洒落た洋服店で働き、薄給ながらも不満はない日々を送っていた。

ちなみに、それまで男性と付き合ったことは一度もなかった。そもそも「彼氏が欲しい」と考えたことはなく、男友達を含めた複数人のグループで遊ぶのが楽しい毎日。まだまだ「孩子」、ガキンチョだった私には「性」とか「男」がいまいち分からなかった。

ある時、私が仕事から帰ると、リビングに両親と並んで叔父がいた。叔父が我が家に来ることは珍しく、年に1回あるかどうか。休日でも何でもない日に彼が来るなんて、おそらく初めてだ。

私は久々の再会を喜びつつ、「今日はどうしたの?」と素直に聞いてみた。

「君に話があるんだ。きっと悪い話じゃない」

両親は私の反応を伺うような表情で見ている。叔父は続けた。

「実は縁談がある。相手は日本人で、結婚した場合は日本で暮らすことになる」

結婚?

今まで意識したことがない言葉だった。彼はその後、詳細をいろいろと説明し、相手の顔写真も見せてくれたはずだけど、私は覚えていない。結婚だけでなく「日本」というワードも意外すぎて、頭は混乱するばかり。

「いきなり言われても、驚くだけだろうな。時間をかけて、じっくり考えてくれ」

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言われたとおり、私は考えた。

中国での生活を捨て、両親や友人と離れて、日本で暮らすこと。いきなり見ず知らずの男と同居し、おそらくは子どもを作ること。異国の地で子育てをすること。できる限り想像してみるけど、ぼんやりとした輪郭しか浮かんでこない。

――でも、だからこそ面白いと思った。怖がらずに一歩踏み出せば新たな世界が見えるし、きっと何らかの得がある。たとえ失敗しようとも、挑戦した結果なのだから後悔はしない。状況を見ながら、また次に向かって頑張れば良いのだ。

今考えると、やっぱり私は根っからのギャンブル好きなのかもしれない。その後、日本でジャグラーに惹かれた一因もそこにあるのだろう。こじつけかもしれないけどね。

こうして、私は両親や友人にロクな相談もせず、約1週間後には結論を出した。以降の段取りはスムーズで、叔父が中心となって日本への入国や結婚の手続きを進め、夏には成田行きの飛行機へ乗り込んでいた。

細かな話は省略するけど、私が結婚を決めたことで、両親には日本側からそれなりの謝礼があったようだ。

でも、私は金額を知らないし、知る必要もない。

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嫁ぎ先は山に囲まれた東北の片田舎だった。

ちょっとした街に出るまでには車で40分ほど。自宅周辺には田んぼしかなく、夏の夜は眠れないほどカエルの鳴き声が響き渡り、少し歩けば昆虫採集図鑑が完成するぐらい数多の虫に遭遇できた。

日本に来たら、休日には流行り物の服を買って、たまには千葉県の遊園地で遊び…と勝手に想像していたけど、難しいことはすぐに分かった。

ただ、中国でも田舎のほうに住んでいた私だから、その意味でカルチャーショックはない。夢の国のネズミにはほぼ会えない代わり、リアルのネズミには確実に会える生活も別に問題ないと思った。

夫となった男は両親と同居する農家の長男で、私よりも年齢は二回りほど上。初対面の印象は「面白くはないけど、優しそうな人」で、実際ほぼその通りの人間だった。

言葉も含め、日本に不慣れな私を一所懸命支えてくれたし、仕事も真面目にこなしていたし、夜の生活にも不満はなかった。夫が「最初の人」で良かったと思う。

おかげさまで、1年半後には可愛い女の子が生まれた。この先どのようなことがあっても、夫と娘さえいれば大丈夫だと、その当時は本気で思っていた。

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「こんなもん、食いもんじゃねぇべ」

娘が生まれた直後から、同居する義母の態度が急変した。私が作った料理を露骨に貶し、場合によっては食卓へ並べる前に捨ててしまう。義父と夫は何も言わず、ただ黙って義母が作った料理だけを食べている。

その他にも、私の下着が捨てられていたり、露骨に無視されたりと、その行動は日々エスカレートしていった。

为什么(なぜ)?

なぜ彼女はそこのような言動を取り始めたのか。孫を中国に取られるとでも思っているのか。それとも、私に子どもを一人産ませたら「用無し」とでも考えていたのか。

日本語が得意ではなく、明確に自分の意思を伝えられない私は、意見や反論もできず、彼女の言動を受け入れていた。急いで部屋に戻り、一人泣くことも幾度となくあった。優しい夫はぼんやりと慰めてくれたけど、義母に対して怒ることは一切なかった。

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娘が生まれてから約一年後、ついに私は体調を崩して入院してしまう。

身近でサポートしてくれる人がほぼいない、異国での入院生活。寂しさはあったけど、義実家での生活から離れただけでも、精神面でかなり助けられた。お医者さんや看護師さんはとても優しく、身体も順調に回復していった。病院の皆さんには今でも本当に感謝している。

入院の2日後、中国の母に電話をかけた。これまでも定期的に連絡を取り合い、義母のことも話していたけど、入院することは伝えていなかったのだ。私は泣きながら「もう限界かも」と言った。

「分かった、離婚しても心配ない。周りには助けてくれる仲間がいるよ。まずはA市にいる私の友人に連絡してみるから、ちょっと待ってなさい」

母に日本の友人がいるなんて、これまで聞いたことがない。きっと在日の中国人だと思うけど、そんな話も知らない。ただ、嘘をつくとは思えないから、ここは信頼してみようと思った。

少しずつ、でも着実に、私の日本生活は次のステージへと向かう歯車が動き始めていた。

(第3章へ続く)

早紀のジャグラー在日遊技録

在日中国人女性の人生とジャグラーが絡み合うドキュメンタリー小説。中国人女性の人生に多大な影響を与えるほどのジャグラーはどのように関わっていくのだろうか…。

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